
石川護国神社は、明治元年建立で、当時は「招魂社」と呼ばれていた。元々は、戊辰の役で没した加賀藩の兵士を祀るために建立されたが、その後日清・日露戦争から太平洋戦争までの戦没者も合祀される。昭和14年に現在の「石川護国神社」と改称。最近では、靖国神社問題が世間を騒がせているが、この石川護国神社も割とそういう意味では有名な神社かもしれない。

石川護国神社境内。今日は雨だったため、式典用に大きな雨除け用の天幕が張られている。訪れた時にはもう式典は終わっていた。本殿内は、自由に立ち入ることが可能。撮影していないが噂に聞いていた通り、陸軍戦闘機隼や、戦車、空母加賀の絵馬もあった。すれ違いに幾人かの人々がお参りに来ていた。若いカップル、3世代くらいの家族、そしてご老人。それぞれにいろんないきさつがあって、お参りに来ているのだろう。靖国神社参拝にも最近はさまざまな世代がお参りに来ていると聞く。我々、戦争を知らない世代が、戦争を忘れない世代になっていかなければならないし、そしてその活動が少しづつ結実しているのではないかとうれしくなる。

これがかの有名な「大東亜聖戦碑」。有志により建立された。太平洋戦争を「聖戦」と呼ぶことに対していささか違和感を覚える。「人が大勢死ぬことが『聖戦』なのか」などと、センチメンタルな意見を述べるつもりはないが、かといって国際政治の一解決手段たる戦争に対して「聖戦」という呼称を用いることは、バランス感覚に乏しいと言わざるを得ない。
建立のいきさつはネット上でも結構載っているが、市民グループとの訴訟問題に発展している。この訴訟も政治目的なくせに、訴訟理由はわりと屁理屈に近くて市民グループ側のやり口は醜い。もう少し頭を使って運動をしないと、理詰めでくるネット右翼には太刀打ちできないのではないだろうか。
横には小林よしのりの献木(さくら)もある。
このほかにも境内やその周辺に、さまざまな忠霊碑や、記念樹があった。ひとつひとつゆっくりと巡ってここを後にする。

続いて、野田山にある戦没者墓苑を訪れる。野田山の墓地の中に広々とした緑の空間がある。芝生が整備され、荘厳な空気に満ちている。写真は戦没者忠霊塔。明治維新から第二次世界大戦までに戦死した県出身者3万2838柱の英霊を祀っている。
本当に少し雰囲気が他の場所とは違う。やわらかな緑に囲まれて、あまりオカルティックな物言いは好きではないが、なにか時間が止まっているような感じがする。ここには、写真の忠霊塔の他に、いくつかの忠霊塔、戦役戦没者の墓所もある。
写真では何か赤い光が写り込んでいるが、これは多分携帯のカメラのホワイトバランスが崩れたせいであろう。心霊写真でもなんでもないので勘違いしないように。
先の大戦で日本国の為に戦い、その命を失った方々を悼むために、今日はその慰霊碑がある石川護国神社と戦没者墓苑に行ってきた。国の為に戦った人達は、戦争が憎むべきものであれ、誉めるべきものであれ、日本の国民として敬い、その安らかな眠りを心から祈らなければならない。
何度も言うようだが、他人は私のことを「右翼的」などと言ったりするが、だからと言って
戦争を礼賛する者ではない。
平和を愛し、できればそんなことが起こらなければ良いと思っている。だけれど、奴隷の平和では日本の国家としての未来はない、とも断じる。戦争は結局、完全に禁じられたものではなく、国際政治の解決の為の手段の一つなのである。だから、戦争の、平和の本当の姿を、記録し、記憶し、後世に、子孫に語り伝えていかなくてはならない。
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